図らずもセジョリ浅草ウエスト

侍に首を切られた職人が、侍の腕の良さに自分が首を切られたことに気づかず、千鳥足に歩くところである。時間があったらどれだけ飲んだかということで、審査の結果、西の人関筆頭となった。隣近所とも口をきかないというのが近代の生活である。商店街の主人や職人のお兄さん(と、その奥さん)がいなければ、町内会は機能しないし、祭りも仕切れない。このうち飛鳥山は江戸近郊第一の名所となり、それまで花見の季節には庶民が幕を張り、歌や浄瑠璃などで騒々しかった上野の山(台東区)では、行49楽客が飛鳥山に流れ、静かになったという。男も女も、老いも若きも、身分を超えて皆いそいそと浅草に向かった。その一例が、台東区上野駅周辺の住宅地だ。経済性と効率という価値観ばかりが支配する東京から、古い建物がどんどん壊されて塔かいくなかにあって、名門大学のキャンパスのなかに入るとほっとさせられる。セジョリ浅草ウエストだけではない。