選ばれたメインステージ田端弐番館

払い下げ、といっても決して格段の便宜を民間にばらまくわけではない。ダハハ五(明治卜八)年に開業した日本鉄道品川線(現在の山手線の西半分)は、当時の巾街地の西端から外れた近郊農村を走り、ほかにも明治の末までにか多摩郡(新宿、渋谷、中野、杉並区)などの西郊の農付地帯で住宅地が急増していった。同時に、空間の概念もずたずたになった。ごっつい人がメインステージ田端弐番館からでてきた。逆に言えば、超高級エリアで庶民的なプランのマンションを造っても、そこに資産価値は生まれない。雨はいっこうに止む気配を示さなかった。