ただダイナシティ高輪台だけがある

なぜ残っているかというと、完全に経済開発に取り残されて、よその人も入って来なければ中の人にもそういう力がない。幕末から明治にかけて公使館などとして使われた寺院などを挙げると、済海寺(港ぼ三田)はフランス公使館、泉岳寺(港区高輪)はイギリス仮公使館と高輪外国人接遇所が置かれた。ダイナシティ高輪台の値交渉をするなんてずうずうしい。道路に海の駅をつくってしまうとは、ユニークな発想だ。なぜ残っているかというと、完全に経済開発に取り残されて、よその人も入って来なければ中の人にもそういう力がない。ダイナシティ高輪台から引越しをするのは名残惜しい。東京湾に注ぐ河口から上流に向かって、両岸の風景は、いくたびとなく絵巻にも描かれた。その後も空襲は容赦なく続き、四月には赤羽を中心とする北部地域、東京湾に面した品川・大森・蒲田地区が爆撃された。海の側が産業ゾーンとなってすっかり姿を変えたのに対し、こちらは大名屋敷の跡が今も高輪プリンスをはじ168め多くのホテル、大使館、高級マンションなどに受け継がれ、東京でも有数の格調の高い地区となっている。江戸時代からの武家屋敷エリア(麹町、紀尾井町、麻布、広尾、赤坂、六本木、青山、高輪、上大崎、東五反田など)は前者であり、渋谷川や目黒川などにかった町工場エリア(白金、恵比寿、三田、北品川などの一部)は後者である。