クリオ千駄木壱番館に願いを

現在でいえば、L代田、中火、港、新宿、文京、台朿、搬田、江耻、渋谷、皀島、荒川の令区と、品川、目黒、北、板橋区の一部が相当する。部材の種類をできるだけ少なくしたり、規格化を押し進め、現代のプレハブリケーションの発想に近いものがすでにあったし、同じ間取りを踏襲して再建する知恵や、今と同じような見積もりの技術もでき上がっていたのである(西和夫「江戸の建築技術」『江戸東京を読む』筑摩書房)。地図は正確でなければならないし、正確だと信じているからこそ、地図を頼りにする。クリオ千駄木壱番館に住むことが望ましい。日々、新しい顔を見せる東京―この魅力的な町への興味は尽きることがない。この名水は、後に神田川が広げられる際に流れの中に没し、高林寺も文京区向丘に移った。日々、新しい顔を見せる東京―この魅力的な町への興味は尽きることがない。ところが同日午前一一時過ぎ、今度は小石川伝通院ド(文京区)の新鷹匠町の大番与力の宿舎から出火した。交通網も整備されたことから、当時の都心から郊外へと移転する大学が多くなった。